Malawi 便り Part3 〜生活編①〜

こんにちは、M2の竹内です。たまには、気分を変えて日本語で書きたいと思います。

長かった協力隊活動ももうすぐ終わろうとしている。今回は紹介がてら、今までのマラウイでの生活を少し振り返って見ようと思う。


マラウイに初めて着いたのは2010年6月23日、今から約2年前。到着後1カ月の研修期間を経て、活動と生活の拠点となる任地に赴任した。赴任して最初の半年は水道なし、電気なしの生活だった。電気がないとうことは、生活のほとんどが手動で、炭やろうそく生活ということである。最初は、火を炊いたり、手洗い洗濯だったり、生活に必要な1つ1つの動作に物凄く時間がかかったけど、少しずつ慣れていった。


水汲みは、近くの井戸までバケツを持って汲みにいっていた。しかし、その井戸はよく壊れていたので、その時は300m離れた遠いほうの井戸まで行かなければならず、毎度10k以上の水を持って、こぼさず持って帰ってこなければしならない。自分の身長の半分にも満たない小さな子どもが必死に水を運ぶ光景に感化されながら、重い腰をあげ、雇っていた警備員とよく二人で汲みにいった。両方の井戸が壊れてしまった時が何回かあった。そんな時は、お風呂や洗濯、皿洗いを我慢して、近所の人に飲食に必要な水だけを分けてもらい、凌いでいた。その他、火炊きや洗濯、水汲み、料理等様々な場面で悪戦苦闘していた私は多くの人に助けてもらった。


マラウイに限らず、サブサハラ・アフリカの国全体がそうだと思うけど、生活環境が厳しい分、家族内・知人間の助け合いの精神やコミュニティーの絆が本当に強い。もちろん宗教的・文化的要因もあると思う。いずれにしても、分け合う優しさや他者を手伝う気持ちといった道徳性が合理的・論理的に教わったものでなく、自然に備わっているマラウイの人達には未だに兜を脱ぎたくなる。きっと戦時中、あるいは戦後直後までは日本にも溢れていた(としばしば言われる)「人情」みたいなものに似ている。そもそも、合理性とか論理性とかいうものは、大抵の場合「教育」と「学習」の過程の中で培われるものだけど、教育を施すことで本来その人が持っている特殊な感覚や先天的特性が薄れていくのではないかという疑念を抱かざるをえない。そうなってくると、必ずしも教育を受けることが彼らにとって100%正しいことではないと感じる。


以前、こんなことがあった。マラウイの田舎では道端で会うと、例え知らない人でさえも、その場で足を止めて、会ったその人数分だけ挨拶をする習慣がある。つまり、5人に会うと5人1人1人に必ず挨拶するということである。10人いたら、10人1人1人に挨拶である。なんとも時間がかかるこの動作をマラウイの村人たちは、相手に敬意を表すための大切な習慣であり、後世に伝えていかなければならない貴重な感覚だと思っている。しかし、ある知り合いのマラウイ人の先生がこんなことを言っていた。「オレは、人数が多くても少なくても全員一斉に挨拶するよ。面倒だし、1人1人に挨拶はしていられないよ。そもそも、論理的に考えたら一斉に挨拶する方が自分の時間も短縮できるし、相手の足を長く止めることもないし効率的じゃないか?」彼曰く、子どもの頃はこんな風に感じることがなかったらしい。他の要因もあると思うけど、今まで学校に通い学んできた過程で、自然と論理的・合理的な考え方や効率的な感覚が身についてしまった、ということを考えずにはいられなかった。


自分の普段の授業でも、こんなことがあった。マラウイの子どもたちは、得てして独特の感性やリズム感、表現力を持っていて、ドラマやダンスの授業の際には、その力を如何なく発揮する。教会での歌や伝統ダンスとは違って、日々の何気ない「音」を聞いて彼らが感じるリズムや踊り方・歌い方には「型」がない。彼らにとって、音を感じ、表現する際に1番大切なのは「自由」という概念だと思う。ある日、音楽の授業で拍子と音符の関係について教えていた時に、グループ毎に「拍数を考慮しながら歌う」グループ活動をさせたことがあった。普段馴染みのある曲を、個々の感性に任せて自由に歌い踊る時は生き生きしていた子どもたちが、急に窮屈そうになった。指導する過程で伝えられる固定された知識や型にはまった方法によって、彼らが持っている独特の感性や感覚が失われてしまったような気がした。もちろん、教え方が悪かったのもあるし、土着感覚を生かしながら、知識伝達するといった「バランス」が大事なのかもしれない。でも、既存の知識を植えつけることは必ずしもプラスに働くわけではないということを身にしみて感じた。


ちょっと話がそれてしまったけど、そんなこんなでようやく半年が過ぎ、活動にも生活にも慣れ始めた頃、ついに家に電気がきた。日本では当たり前だった灯のある生活がこんなに素晴らしいものだと歓喜した。それまで、19〜20時に就寝していたのが一気に22~23時になった。電気があると言っても停電も多い。2~3日に一回の頻度で、それも大体18時~21時というご飯時という一番大事な時間帯に停電するから、困ったものだ。しかし、マラウイの全人口の約7%しか電気を持っていないということを考えると、本当に恵まれた生活である。


今まで自分は、世界平和とか人類の平等とかを人並みに願ってきたけど、ここに来てみて、悲しいけどそれは単なる自分のエゴで、美辞麗句に過ぎなかったと感じる。人々が平等に暮らすということは、富める者の富が貧しい者の所に行き渡るということだけど、果たして自分はそれを受け入れる覚悟がどれだけあるだろう、と考えることがよくある。物と情報に溢れ、何もかもに恵まれた高い生活水準を落とし、何もかもが不足し、物事も予定通りに全く進まない過酷な状況に身を置いてみると、どうしてもストレスを感じたり、やりきれない気持ちになったりすることがある。初めて自分の覚悟のなさ、心の弱さを知った。それが分かっただけでもここに来て本当に良かったと思う。


赴任して8カ月がたち、言語にも生活習慣にも慣れ、ようやく周りの人達と打ち解け始めた頃、家に空き巣が入った。それも2回も。幸いなことに、家のドアや窓が壊され、寝室の中が少し荒らされた程度で、何も取られてはいなかった。アフリカ(というよりアフリカの中でも特に貧しいマラウイのような国)に来ると、白い肌でいることが心地よくないと思う時が未だにある。白い肌=お金持ち、白い肌=外国人、という彼らのイメージを少しでも払拭し、1人の人間として他のマラウイ人と同じように接してほしいという一心で、彼らと生活スタイル・習慣を共にしてきた矢先の出来事だったから、本当にショックだった。それがきっかけで、今まで住んでいた場所からさらに西に15km離れた所に引っ越すことになった。家は変わっても、Zone配属の巡回活動のため、活動内容・活動範囲は今までと何ら変わりなかった。



生活編②に続く